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私の瞑想体験

瞑想を学ぼうとする理由は人によってさまざまだ。健康のため、疲れをとるため、頭を明晰に保つため、人前で緊張しないように、などなど多岐に渡っている。こうした瞑想に対する期待は、超越瞑想であれば多かれ少なかれ満足が得られるだろう。しかし、瞑想の真価は、それら期待される効果をはるかに超えているのだ。スタンダード・ジャーナルのライター、プレストン・リンゼイ氏は、自身の体験から瞑想の真の価値について語っている。以下はその抄訳。

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想像してみてください。自分の心を今までとはまったく異なるところから見ているようなのです。自分ではない自分、あるいは、今までの自分以上の自分、思い出せるこれまでの自分以上の自分と言ったらよいでしょうか。そこから、自分の心を見ているような感じです。ものごとを以前よりも深く、ありのままに感じるようになりましたが、そのために何か悪い結果が生じることはありません。自分が自分の心に子どものように無邪気につながっていると感じます。しかし、それと同時に、自分が年を重ねて成熟したようにも感じます。

それは、ちょうど自分が自分の心という乗り物の運転席に座って、心の複雑なメカニズムに巻き込まれないでいるのに似ています。心は、嫌な相手に腹を立てたり、手を動かしたり、笑ったり、喜んだり、さまざまなことを考えています。しかし、そうしたさまざまな考えのもっと下のほうに存在している自分というものを想像してみてください。想念が浮かんでくる以前の自分です。

これが、私が体験したものです。

超越瞑想は、すでに多くの果実をもたらしてくれています。ストレスは溶けてなくなってしまい、忍耐強くなり、思いやりが増し、感情を爆発させることが減り、喜びと平和が続いています。そうした状態が、なくなることはありません。

親しい友だちの家を訪ねたとき、彼が言いました。「君は変わったね。何だかわからないけど、変わったよ。」

そう、私は、以前と同じではありません。

地位や肩書に関係なく、すべての人に好意をもつことを想像してみてください。その人たちが、私の失敗や不幸を願っていたとしてもです。

それは、朝の霧のようにすべてを溶かし、純粋な至福だけが残ります。

そして、肯定的な感情のすべて、愛、喜び、感謝、思いやりが、次第に大きくなっていくのです。

私は、何年間か瞑想していますが、超越をはっきりと体験したことは、2,3回しかありませんでした。その時は、ご褒美のように、清らかな天国のような喜びを感じました。しかし、今はそれを毎日のように味わっています。

幸せな出来事がなくても、私は幸せです。この幸福感は、私の内側深くから泉のように湧き出てきます。私は微笑み、この深い喜びをわかちあわずにはいられません。

超越瞑想(TM)を始める前、ほかの友人とTMの効果について話したとき、「それは裸の王様の新しい服と同じで、単なる思い込みだ」と言っていました。

私は、その服を手に入れました。それは素晴らしすぎて、本当だとは思えないかもしれません。

しかし、それは本当です。

私は、自分はどちらかというと科学的な心の持ち主だと思っています。物事を客観的に見て、思わぬ出来事が起こっても冷静さを失わない方です。しかし、超越瞑想の体験については、まったく違っていました。

私は以前にも、TMの多くの恩恵について記事を書いたことがありますが、そうした効果は科学的に測定できるものであり、実際に測定されてきました。

精神的な効果としては、創造性や知性が高まり、精神的な効率性が増し、知覚と記憶力が向上します。また、分析力や全体的な思考力が養われ、子どもたちの認知能力が発達し、成人の心の柔軟性が増すこともわかっています。

健康への効果としては、血圧が下がり、動脈硬化が改善し、インシュリン抵抗性が低下し、心臓発作・脳卒中・死亡率が減少します。TMは、アメリカ心臓協会によってその効果が認められている唯一の瞑想法です。

Preston-Lindsayこうした効果は実に有益であり、奇跡的でさえあるのですが、超越瞑想の本当の効果に比べれば、ぜんぜん問題になりません。超越瞑想の本当の効果は、客観的な方法では測定できないのです。

私は愛に満たされていて、その愛は、特定の人や物に向けられるのではなく、すべての人、すべての物に向けられています。

静かな喜び、かすかな微笑、平和が永遠に続いているのです。