魂の至高の瞬間──詩人エミリー・ディキンソン

彼女の祖父はアマースト大学の創設者である。父親は州議会議員と連邦議会議員に何度も選出された。しかし、エミリー・ディキンソン(1830年〜1886年、米国)は世俗的な生活とはかなりかけ離れた生き方をした。マサチューセッツ州のアマーストで生まれた彼女は、その村から出て旅行をしたのは数回だけであり、マサチューセッツの外に出たのは一回きりだった。

42歳以後は、自宅とその庭から出ることがめったになかった。結婚もしなかった。彼女はソローのような質素な生活を意図的に選び──詩作を生業とした。

彼女が創作した1775篇の詩のうち、彼女の生前に出版されたのはわずか10篇ほどであり、それらはすべて匿名で発表され、その当時の規範に合うように編集者によって改変された。1955年になってようやく彼女の詩が元のままの形ですべて収められた詩集が出版された。ディキンソンは素晴らしく独創的で力が満ち溢れた文体を築き上げた。今日では彼女はアメリカで最も偉大な詩人の一人として高い評価を受けている。

創作した数多くの詩の中で、彼女は、心が落ち着いて内側に向かい、感覚を超え、思考自体も超えていく体験を表現しているように思われる。

 
DickinsonEmily魂の至高の瞬間は
友人や地上の出来事が
無限に遠のいてしまって
ひとりになったときに現れる
あるいは魂自らが
あまりに遠く離れた高みにまで昇ったために
魂の全能の地位より低いところにある
存在に気づかなくなったときに

・・・・・・・・

永遠なるものは
少数の幸運な者たちだけに
不死性の壮大な実質を
見せてくれる [1]

彼女のすべての作品と同じく、この詩で綴られるディキンソンの言葉はきわめて簡潔で電報文のようだ。彼女が表現しているのは、自身の最も崇高な内的体験と考えているもの、すなわち「魂の至高の瞬間」である。このような瞬間が現れるのは、魂がひとりになり、日常のあらゆる経験が「無限に遠のいて」しまったときだ。彼女は自らの魂が低次の感覚では認識できない「あまりに遠く離れた高み」にまで「昇った」と感じている。そのときに魂が体験できるのは、抽象的だが全能であるそれ自身のみである。この状態になったとき魂は、彼女の表現によると、「永遠なるもの」、そして「不死性の壮大な実質」を見ることができる。このような体験を与えられるのは少数の幸運な者たちに限られると、彼女は私たちに告げる。

彼女は何を表現しているのだろうか?

超越瞑想を実践している読者なら、この詩に親近感を覚えるかもしれない。この詩には彼らが瞑想を実践しているときの体験──心が「内側に潜る」自然な体験──が表現されているのがわかるからだ。海面の波が静まっている大海のように、心の活動は次第に静かになっていく。やがて思考のプロセスを完全に超越する瞬間がやってくる。そのとき、その人は純粋な状態の──枠のない、永遠の──意識を体験している。ディキンソンは、永遠性や不滅性に結びつけることで、この体験の枠のない、時を超越した性質を想い起こしているのである。

科学的研究により、この状態は、目覚めているとき、夢を見ているとき、眠っているときの状態とは異なる、第四の意識状態であることがわかっている。この状態になっている人の心はすっかり目覚めて鋭敏であると同時に深く落ち着いた状態であり、体も深く落ち着いた状態にあって、その人は深い休息を体験しているのである。脳機能は、多かれ少なかれ乱雑に働いている状態から、高度に統合された状態へと変化するが、それは脳のすべての領域が協調的に機能し、脳がその全潜在力を利用していることを示している。マハリシはこの第四の意識状態を「超越意識」と呼んだ。

私たちは、世界中のあらゆる時代の男女の偉人たちが書き遺した文章の中にこの状態の体験が表現されていることに気づく。それは普遍的な体験であり、高く評価されている。──しかし、ディキンソンがほのめかすように、ふつうはごく稀にしか起こらない、そしてつかの間の体験であった。

しかし、今では超越するためのテクニック、すなわち超越瞑想により、この尋常ではないが自然である体験が起こるのを偶然にまかせる必要はなくなり──好きなときに(毎日2回、20分ずつ)体験できるようになったのだ。

その効果も尋常ではない──創造性や知能の向上、学習能力の向上、ストレスや不安の減少、健康の増進や長寿の促進、人間関係の改善、生産性の増大など多岐にわたり、社会全体の平和と調和の促進という効果さえ生み出すのである。

ディキンソンは、彼女が超越意識を思わず知らずに体験していたことを多くの詩の中でほのめかしている。
 

10歳の頃のエミリー・ディキンソン。ハーバード大学ホートン図書館のディキンソン展示室より

10歳の頃のディキンソン

空間という孤独
海という孤独
死という孤独がある
だがこれらの世界と比べても
ずっと深いところに
隠遁の極致の場所がある
そこは有限の無限としての
自らを認めている魂なのである [2]

 

孤独には多くの形態がある、と最初の三行でディキンソンは言っている。しかし、これらの孤独はすべて「世界」なのであり、魂が「自らを認めている」ときに──意識が内側に向かってそれ自身だけを認識しているときに──その人が体験する孤独はもっとずっと深いものだ。この孤独は、「有限の無限」という状態──個人という存在の枠の中で体験される枠のない状態──なのである。

マハリシが超越のためのテクニックと同時に、この体験の性質に関する詳細な説明を私たちに示してくれたおかげで、私たちは、過去の文学を振り返るときにも新しい光を当てることができる。エミリー・ディキンソンのような人々は、「魂の至高の瞬間」や「魂が自らを認める」体験──私たち個々人の内側深くに「超越的な」「無限の」「永遠の」場があることを理解する直接体験──について私たちに語りかけているのである。

この場は、マハリシが「自己(Self)」と呼んでいるものだ。それは、あなたの「自己」であり、私の「自己」であり、すべての人の「自己」であり、宇宙の「自己」である。大昔から崇められてきたこの高貴な体験は、現在ではすべての人が得られるようになっている。

参照文献:
[1] Emily Dickinson, Untitled poem, “306,” The Complete Poems of Emily Dickinson, ed. Thomas H. Johnson, first edition (Boston: Little, Brown, copyrights 1890 to 1960), 144.
[2] Dickinson, Untitled poem, “1695,” The Complete Poems of Emily Dickinson, 691.

原文:Dr. Craig Pearson


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