インド政府主催「ヨーガと科学」の会議で、ヨーガを科学という鏡に映し出したマハリシ

1975年、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(超越瞑想の創始者)は5つの大陸を回る世界ツアーを行った。ツアーの目的は人々に「悟りの時代」の到来を告げることだった。「悟りの時代」とは、問題や苦しみから解放され、誰もが自身の全潜在力を活用して至福を生きる時代のことだ。

ツアーの最初に、マハリシは祖国インドを訪れた。このとき彼は、それまで神秘的なものとされてきた瞑想を、科学的に実証された技術として、インドの科学者や教育者たちに紹介した。その時の人々の反応をツアーに同行したロバート・オーツ氏が書き記している。以下は、彼の著書「マハリシが悟りの時代を告げる」より引用。

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マハリシがインドを訪れたとき、インド政府の主催で「ヨーガと科学」というテーマの3日間の研究会が行われました。会議の予定はすでに一杯だったのですが、会議の担当者たちは、マハリシが話すために30分間の時間を空けてくれました。私たちは午前10時15分に会場に到着し、半円形の会議室に入ると、そこには科学者や教育者や役人たちからなる300人余りの聴衆で一杯です。

しかし、席に着いて、そこで話されていることを聞いてみると、こうした研究会では、「悟り」はあまり全面に出てきていないことがわかりました。この分野には、何世紀にもわたって、誤解やつまらない神秘主義がはびこってきました。いま演壇で発表している人も、触らずに金属を曲げた人を見たことがあるとか、何を言いたいのかわからないような話をしています。会議の司会者は、発表者たちの話にはほとんど何も期待していない様子で、ただ時計ばかりを見ていて、時間がくると、次の話し手を紹介します。今日は何か斬新な考えが聞けるかもしれないと期待している人が聴衆の中にいるのかどうか、この時点では、まだ定かではありません。

マハリシは、ステージの上に静かに座って、自分の番を待っています。マハリシの名前は、会議の予定表には印刷されていません。おそらく、聴衆の大部分は、マハリシのことを知らないと思われます。会議がこうした退屈なレベルで進行しているので、それに合わせて、マハリシも話の調子を落とさなければならないように思われます。マハリシはどのように話しを始めるのでしょうか。おそらく、健康のことや、ストレスの解消のことから、始めるのでしょう。しかし、マハリシの番になったときには、マハリシはまったくそのようには考えていなかったと、わかりました。

マハリシは、このように話し始めました。

「インド政府のような強力な政府が行動を起こすとき、悟りの時代はすぐにやって来ます。」

部屋の中に小さなざわめきが起こります。眠そうだった聴衆の目が、少し目覚めたようです。時計ばかりを見ていた司会者が、発表者たちの列の向こうから、マハリシのほうを注目しています。

「いま科学が十分な進歩をとげて、自然界のすべての法則を制御できる領域があることを明らかにしました。それが統一場(真空状態)です。そして、ヨーガの科学によって、私たちは、この統一場を自らの意識のレベルで体験できるようになりました。人々が統一場を体験しはじめるとき、悟りの時代がやってきます。」

マハリシは微笑んでいます。しかし、その声の調子は、部屋の中に蓄積していた鈍い雰囲気を切り割くような、非常に強い調子です。

「私は根拠のない話をしているのではありません。私が話していることはすべて、世界中における百万人以上もの超越瞑想を実践している人たちに基づいています。私が話していることはすべて、これまでになされてきた、何百もの科学的な研究に基づいています。そして、私が言いたいのは、もし、政府がその気になるならば、一年以内に理想的な社会の始まりが来る、ということです。もし、私たちが超越瞑想を社会のいたるところで確立できるならば、一年以内に、インドに理想的な国家の始まりがやってきます。」

部屋の中が活気づいて、騒然としてきました。手を振っている人もいます。マハリシは、話を先に進めます。インドが直面してきた様々な困難を鋭く分析し、それに対する、意識のレベルからの解決策を提案します。マハリシの話が終わったときには、聴衆の関心の高まりは、部屋の中の雰囲気に明らかに現れていました。しかし、予定がぎっしり詰まっているために、議論の時間をとることはできません。聴衆はまだ騒然としていますが、演壇には次の発表者が立ちます。年輩のヨガ行者で、原稿を持っています。彼はその原稿を見ながら、平坦な、鈍い調子で、「ヨガは、その結果を得るまでに、長年の苦行が必要である。ヨガは、世俗を放棄した人たちの道であって、社会を改善しようとする人たちの道ではない。」といった保守的な教えについて話します。

その後、会議は昼食のためにいったん解散になりました。せっかく社会的な影響力をもった人たちの関心を呼び起こすことができたのに、マハリシの発表の後で、質疑応答の時間をとれなかったのは残念なことでした。マハリシのこの世界ツアーの目的は、人々の行動を、特に、社会の責任ある指導者たちの行動を、刺激することです。しかし、社会には何百年も前からヨーガに対する誤解がはびこっています。それを打ち壊すだけで、30分以上かかってしまいました。

ホテルに戻ったときに、誰かがマハリシに尋ねました。マハリシの話の後で、ありきたりの考えを発表したヨギがいましたが、マハリシはそのことが不愉快ではなかったか、という質問です。マハリシは言います。

「いえ、いえ。私は気にはしません。たくさんのヨギがいるのですから、考え方も様々でなくてはなりません。それよりも、言いたいと思っていたことを言う機会が持てたことは、嬉しいことでした。」

私たちは少し気落ちしていたのですが、マハリシは気にしていないようです。マハリシは笑って、午後の予定について話しています。しかし、マハリシは、しばらくして話をやめて、研究会でマハリシが発言できるようにアレンジしてくれた人の方を見ます。

マハリシは尋ねます。

「この週末に、もう一度話す機会がありますか。」
「いいえ、マハリシ。予定はすでに一杯です。」
「そうですか。」

マハリシの左右の手の平が、テーブルの上を軽く叩いています。グループの中の他の一人が言います。

「ここに今日の予定表があります。それによると、今日の午後4時半から、一般討論の時間があることになっています。」

大きな微笑みがそれに応えます。

「討論ですね。」

マハリシの両手が、また、テーブルを叩きます。

「それはたいへんよいことです。それに出席することにしましょう。」

3時間後に、私たちは会場に到着しました。しかし、政府の歯車はやはりゆっくりとしか回っていません。4時半になっても討論が始まりそうな気配はいっこうにありません。発表者が入れ替わり立ち替わり演壇に立ち、それがいつまでも続いています。司会者は、一人一人の発表時間をきっかりと5分間に制限していますが、予定されている発表者が多すぎます。司会者は、何度も、「この会議は6時ちょうどに終わる予定です」と繰り返し、ただその目的に向かって、会議を進行させています。

しかし、こうした発表者たちの持ち時間を5分間に限っているのは、必ずしも愚かなことではないように思われます。彼らの話しは、また元の低いレベルに戻ってしまっているからです。瞬きをせずに太陽を見つめていられる人についての話や、卑金属を金に変えられる人についての話など、そんな話ばかりが続いています。会議の終わり近くになって、司会者は、医学博士の称号を持っている発表者の名前を呼びました。グレーの背広を着た、背の高い、50歳ぐらいの人がマイクまで大股に歩いていって、多くの聴衆が感じている不満を代表してぶちまけます。

彼は強い調子で言います。

「私はテーマが『ヨーガと科学』ということなので、この研究会に参加しました。しかし、どこに科学があるのでしょうか。私はそれを知りたいと思います。」

聴衆の中のあちこちで拍手がわき起こります。その医学博士は続けます。

「研究論文はどこにあるのでしょうか。もし、ヨギたちが石を金に変えられるというのなら、それを実際にやって見せて下さい。本当にそれができたら、大蔵大臣が感激して、あなたたちを抱きしめるに違いありません。」

部屋の中にまたいくらか活気が戻ってきました。しかし、司会者は何もコメントせずに、会を先に進めます。

「6時まで、あと10分です。あと一人、予定されている発表者がいます。その後で、マハリシが少しお話になりたいそうです。」

最後の発表者が話し終えたときには、あと2、3分しかありませんでした。マハリシは演壇に登って、マイクの前に座ります。2、3分でいったい何ができるでしょうか。

マハリシは話し始めます。

「私がまたここに来たのは、私が今朝話したことが、理解を超えていたか、あるいは、実際的でないように聞こえたかもしれないと思ったからです。それで私は、先ほどのドクターの、必要なのは科学的な証明だという話を聞いて、たいへん嬉しく思いました。今日では、ほとんどどんな事でも計測できるようになりました。これを言うのは私の喜びであるのですが、超越瞑想の様々な恩恵も、西洋の優れた研究施設で、すでに試験され証明されているのです。」

マハリシが話している間に、デリーの世界計画センターの人たちが数人、聴衆の中を動き回って、新しい科学的研究の小冊子を配っています。聴衆は手を差し出して小冊子を求め、マハリシの話を聞きながら、熱心にページをめくって見ています。マハリシはいくらかの信頼を確立できたので、イスにゆったりと座り直します。

マハリシは言います。

「それについては、もはや疑いの余地はありません。それで、私は、ここにお集まりの聡明な方々と話し合いたいと思って、戻ってきたのです。もし、何かご質問があれば、喜んでお答えします。」

3人の人がすぐに立ち上がって質問しようとしましたが、彼らの声はマイクを通した司会者の声にかき消されてしまいました。「マハリシ!」と、司会者は驚いたような声で言いました。「もう、6時になりました。会議はこれで終わりにしなければなりません。」

マハリシは司会者の方を向いて、次のように話します。

「このようなすばらしい人たちが集まる機会はめったにありません。この教えの科学的な裏付けについて検討するのは、たいへん魅力的なことです。なぜなら、その結論は、私たちは理想的な世界を創ることができるということであるからです。」

司会者は後ろを振り向いて、壇上に座っている他の役人たちの顔色を伺います。「それはできないように思います。」と、司会者は言います。しかし、すぐに何かをする必要があるのは明かです。会議は混乱し始めています。何人かの人たちは質問をしようと、立ったままで待っています。もっと多くの人たちは、できればマハリシと個人的に話をしたいと思って、席を離れて舞台の方へ集まってきています。明らかに、聴衆の多くは、客観的に確かめられた進化のための技術に興味をもったようです。会場が急に騒がしくなってきました。マハリシはマイクの方に向き直って言います。

「今は都合がよくないというのであれば、何か他の方法を考えましょう。科学者とヨーギーのための特別なミーティングを開きましょう。この問題をもっと深く検討するこの機会を失ってはいけません。私はアショカ・ホテルに泊まっています。明日、そこで会うことにしましょう。」

「はい、けっこうです」と、司会者が急いで言います。「たいへん、けっこうです。それでは、この会議はこれで・・・」。司会者の散会の言葉の途中でマイクが切れてしまいました。しかし、その司会者の言葉はもう不必要でした。会議はすでに実質的に終了しています。聴衆の多くが演壇の前に集まってきていて、マハリシはもう近くに来た人たちと話し始めています。

マハリシが人々の中に生み出した関心がどんなに大きなものであったかは、その日の夕方と次の日になって明らかになります。アショカ・ホテルの会議室は、マハリシに会いに来た人たちでずっと込み合っています。ほとんどの人が、何か行動を起こしたいと思っている人たちです。その中には、国連協会インド連合の会長という重要な役職についている女性もいます。彼女は、国連と関係のある自分の地位をどのように活用できるかをマハリシと一緒に考え、彼女が議長を務めることになっている国際婦人年ヨーロッパ会議で超越瞑想の話をしようと申しでます。

もう一人、インド政府教育省の人も、二日に渡ってやって来ました。彼は、インド各地で超越瞑想の教師を養成するために、インド政府がどんな援助ができるかを説明しました。

午後のほとんどの時間は、科学者や医師たちからなる大勢のグループとの話合いに当てられました。その中には、ヨーガと健康に関する政府の相談役や、国立神経科学研究所の所長もいます。夏に10日間の専門家会議を開催しようということになり、ミーティングが終るころには、そのスケジュールが決まります。一人一人が、自分の最も尊敬する同僚をその会議に招待するということになりました。

さらに、2人の重要な教育者がここに来ています。どちらも私立の学校をいくつか経営している人たちです。一方の人の学校はインドの伝統文化を専門的に教える学校で、もう一方の人の学校は革新的な教育方法で有名な学校です。

「超越瞑想を学校で教えられないものでしょうか」と、革新的な教育者が尋ねます。「もちろん、できます」と、マハリシが答えます。「物理学や文学や化学を子供たちに教えるコースがすでに用意されています。どの科目も、創造的知性の科学の観点から学習するのです。」

「11歳か12歳から学び始めて、卒業するまでには、それを他の人たちに教えられるようになりますか。」
「もちろんです。超越瞑想はたいへん簡単なものです。子供たちは10歳からそれをすることができます。」
「教育者にとって、これはとてもやりがいのある仕事です。」

マハリシは大きく微笑んで、「たいへんやりがいのある仕事です。」と言います。

「科学的研究については、疑いの余地はありません。今は、行動を起こすことが、社会の指導者たちの義務です。」
「私はマハリシの望んでいらっしゃることをしたいと思います。」と、その教育者は結論します。「私の学校から始めたいと思います。」

ここでも、人々の反応は肯定的で、すぐに行動に結び付くものでした。インドはスタートが遅かったのですが、今は、他の国々よりも早い速度で前進しようとしています。マハリシは、インドの知識を科学技術という鏡に映してインド自身に見せたのです。

──ロバート・オーツ著「マハリシが悟りの時代を告げる」より