ブラームス──主旋律は無限なるものからやってくる

ブラームスは十代前半のとき、ハンブルグの波止場界隈のダンスホールや宿屋で演奏をして一家の生活を助けた。その同じ地域の同じような場所で、百年余り後にビートルズが演奏技術を磨いた。ブラームスが高名なバイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムと出会ったのは彼が二十歳のときだった。ブラームスの才能を認めたヨアヒムは、彼を作曲家のロベルト・シューマンに紹介した。

間奏曲──ヨハネス・ブラームス作曲

ヨハネス・ブラームス
1833年~1897年、ドイツ

Brahms-thumbブラームスの才能は三十代前半にはすでに広く認められていた。彼と同時代の人々でさえ、「三大B」──バッハ、ベートーベン、ブラームス──を話題にした。ブラームスはヨーロッパの音楽の中心地であるウィーンで人生の大半を過ごし、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ作品、合唱作品、そして200曲以上の歌曲を作曲した。名ピアニストであった彼は、自らが作曲した曲を独奏者あるいは伴奏者として、しばしば演奏した。

ロマン派の作曲家たちが伝統と決別していた時代に、ブラームスは伝統の保護に努めた(彼の最初の交響曲は「ベートーベンの第十」と呼ばれてもてはやされた)。だが彼は革新的な人でもあったので、「ロマン派」に新しい要素を付け加えて、力強く、エネルギッシュで、身近なものとして発展させた。

財政面の成功を収めたにもかかわらず、ブラームスはたいへん質素な生活を送っていた。稼いだお金を親族に与えたり、意欲ある若い音楽家たちを匿名で支援したりした。ベートベンと同じく、彼はウィーン周辺の雑木林の中を長時間散策するのが好きだった。

1889年、ブラームスは、トーマス・エジソンの代理人の来訪を受け、録音実験への協力を依頼された。その音質は良くなかったが、これが大音楽家によってなされた史上初の録音となった。

以下の文章でブラームスは彼の創造のプロセスについて語っている。

◆ ◆ ◆

Brahms-2ベートーベンがそう実感したように、私たちが創造主と一体であると実感することは、不思議な、畏怖の念を起こさせる体験である。これまでその実感に至った人間はごくわずかであり、それゆえに、さまざまな分野で人間が努力してきたにもかかわらず、偉大な作曲家や創造的天才が出現することがほとんどなかったのである。私は作曲を始める前にはいつも、これをひたすら観想した。これが第一段階だ。……

するとすぐに、私の全存在をワクワクさせるバイブレーションを感じる。…… この高揚した状態では、ふだんの心的状態のときには曖昧であったものが明瞭に見えるようになってくる。そうなったとき、ベートーベンがそうだったように、私は天上からインスピレーションを受けることができるのを感じる。……

それらのアイデアはまっすぐに私に流れ込んでくる。…… そして、私の心の目に主旋律がはっきり見えるだけでなく、その主旋律にはそれにふさわしい形式、ハーモニー、編曲が与えられている。稀にしか起こらないがそのようなインスピレーションを受ける心的状態では、一小節また一小節と、完成した作品が私の前に見せられていく。……そのようなことが起こるには、半恍惚状態になっていなければならない。つまり、顕在意識の心が一時的に停止して、潜在意識が主導権を握っているような状態である。インスピレーションは、全能なるものの部分である潜在意識の心を通ってやってくるからだ。だが私は、意識を失わないように気をつけていなければならない。さもなければ、それらのアイデアはだんだん消えていってしまうからだ。[1]

「潜在意識」という用語はまったくふさわしくない表現だ。……「超意識」と表現したほうがずっと適切かもしれない。[2]

真の天才は、ミルトンやベートーベンがそうであったように、英知と力の無限の源泉を利用している。私の見解では、まさにそれが天才の天才たる所以なのだ。…… ゲーテ、シラー、ミルトン、テニソン、ワーズワースのような偉大な人物は、宇宙の無限のエネルギーにつながっていたので、宇宙から永遠なる真理のバイブレーションを受けていたのだ。…

私の作曲の中で存続していくであろう主旋律は、すべてこのようにして私のところにやってきた。それはいつも実に素晴らしい体験であった。…… その体験をするとき、私は無限なるものと調和しているのを感じている。それに匹敵するほどの感動はほかにはありようがない。[3]

◆ ◆ ◆

Brahms-Piano1ブラームスは、創造のプロセスと天才の源泉に対する並々ならぬ洞察力を持っていた。あらゆる偉大な業績は、無限の創造性と知性の場、すなわち「宇宙の無限のエネルギー」の現れであると彼は信じていた。人間の創造性も、自然界の創造性も、それが生じてくる源泉は共通であると。

ブラームスにとってこの考えは単なる哲学的な思弁ではない。彼は、自分の最高の作曲が生じてくる源泉である独特の体験を説明しようとしている。この状態のとき彼の心は、彼が「潜在意識」と呼んでいるものに開かれている。それは「全能なるものの部分」であると彼は定義するが、その後で、それよりも「超意識」の方がずっとふさわしい表現だと述べている。

ブラームスは何を表現しようとしているのだろうか。彼の表現から想起されるのは、高次の意識状態──つまり、悟り──について語ったマハリシの説明である。

MMY超越瞑想の実践中、心は落ち着いて内側に向かい、マハリシが超越意識と呼んだもの──日常体験している目覚めの意識、夢、眠りとは区別される第四の意識状態──を体験する。そのとき心は静寂な落ち着いた状態になり、それ自身の内側ではっきりと目覚めている。感覚も想念も感情もなくなり、ただ純粋な意識のみだけを体験する。このとき脳の機能は秩序立って統合され、身体は深くリラックスしている。この状態のとき私たちは、想念の源、すなわち創造性と知性と至福の無限の宝庫を体験している。その場は量子力学の用語で言えば、すべての自然法則の統一場であり、それは、私たちの真の「自己」、真我である。

私たちが瞑想を始めたばかりの頃は、瞑想が最も深くなった瞬間にしかこの体験は得られないかもしれない。だが瞑想を長いあいだ続けるうちに、心は徐々にこの状態に慣れ親しんでいく。

マハリシの説明によると、私たちが一日二回、規則的に超越意識を体験していると、この意識状態が、瞑想をしていない日常生活の中でも持続するようになる。脳機能は常に統合された状態が保たれている。そのとき私たちは、目覚め・夢・眠りの意識状態と、枠のない意識状態とが共存するのを体験し始める。そして、内側深くで体験していたものが途切れることなく持続する。そうなったとき、私たちは、想念の源にある創造性と知性の無限の大海をいつでも利用できるようになる。

さらにマハリシは次のように説明する。通常の目覚めの意識では、想念が発生しても、それが心の「表面」に到達するまで、私たちはその想念を自覚しない。しかし、高次の意識状態では、想念が発生した瞬間にそれを自覚するようになる。その瞬間の想念は最も強力であり、想念の源にある無限の創造的知性が十分に染みこんでいる。

ブラームスの言葉は、たしかに、このマハリシの説明と同じ方向を指している。ブラームスの言葉によれば、時々彼は「超意識」の状態を体験し、そのとき彼の心は「全能なるもの」の領域に入っていく。その状態の心は、その源──あらゆるものに浸透し、全能である自然界の創造的知性の領域──に開かれている、と彼は示唆する。ブラームスの感覚によれば、彼にとって最高の音楽、「存続していくであろう主旋律」が彼のもとにやってくるのは、作曲の活動中であっても彼の意識が落ち着いて拡大した状態を保っているとき──「無限なるものと調和している」とき──なのである。そして、この状態こそがすべての創造的天才の源泉である、と彼は信じている。

第四の意識状態である超越意識は、シンプルで自然なものなので、誰でもそれを体験する能力を生まれながらに持っている。超越瞑想はそれを体験するための努力のいらない方法なのである。この状態を規則的に体験していると、高次意識が自然に成長していく。高次意識とはどのような状態なのか、科学的研究の結果がそれを示している。超越瞑想を規則的に実践していると、脳機能の高度な統合が促進され、創造性と知能が高まり、場独立性(広い視野を保ちながら細部に集中する能力)が向上し、健康が増進し、そのほかにも多くの恩恵がもたらされるのである。

高次意識はさらにもう一つ、計り知れないほどの恩恵をもたらす。心が自然法の源に開かれているので、私たちは自発的に自然法に従った生き方をするようになる。つまり、私たちはもはや間違いを犯さなくなり、自身に対しても他者に対しても問題を作り出さなくなるということだ。それどころか、私たちは、マハリシの言う「自然からの支援」を得て、緊張することなく願望を成就できるようになるのである。

高次意識は人間生命の正常な状態である、とマハリシは主張する。この状態のとき、心と体は本来の設計どおりに機能し、ストレスはなく、完全に統合されて目覚めている。高次意識に達していない意識は、まだ正常な状態になっていないのである。

それがどんなものなのか、ブラームスは私たちにかいま見せてくれた。一時的ではあるが彼はそれを体験することで、西洋における最も偉大な音楽のいくつかを生み出した。

歴史を通じて創造的天才たちがかいま見、そして称賛してきたこの状態は、現在では、体系的な方法によって誰でも手に入れることができる。この状態に高まり、その結果として創造的な業績を成し遂げ、世界を変えている人々がますます増えている現在の状況を、誰が想像できたであろうか?

参照文献

[1] Quoted in Arthur M. Abell, Talks with Great Composers (New York: Philosophical Library, 1955), 5–6. 
[2] Abell, 9. [3] Abell, 11.

原文・Craig Pearson, Ph.D.


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