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銃撃が始まると彼らは瞑想をした。イラン革命・平和プロジェクト(1)

1978年に数ヶ月間にわたって、世界平和プロジェクトが行われました。このプロジェクトでは、戦争の危険性の高まっていく国々(イラン、レバノン、ニカラグア、ジンバブエ)に、約1,400人の瞑想者たちが、30人から400人のグループに分けて派遣されました。そして、現地のホテルに滞在して、長期に渡って、あるときには四カ月もの間、長い瞑想を行い、その地域に調和と平和の影響を生み出しました。

1978年、イラン革命のさなかのことであった。テヘランのある一流ホテルの裏の小道は、何千人もの人々でうめつくされ、彼らの叫び声、警笛の音、投石騒ぎで騒然としていた。そこから壁を隔ててすぐのところにあるホテルの会議室は、深い静寂に支配されていた。30人の人が心地よさそうに椅子に座り、目を閉じて、リラックスした穏やかな表情をしていた。人種・国籍・年齢は様々であったが、そのときの彼らは皆同様に、内面の美しさからくる、ほっとさせてくれるような雰囲気をかもしだしていた。

そのとき彼らはある特別な理由で瞑想をしていた。つまり、イランの革命を、できるだけ平和なものにするためにやって来たのである。彼らはどちらが勝つかには関心がなかった(それはイラン人の問題であった)。彼らはただ、人々の命を救い、混乱を静めたかっただけである。それと、グループで瞑想することが役に立つかどうかを知りたかったのだ。

後日、彼らの一人が私達に次のように述べている。「その日の夕方の瞑想は実際にこれまでで最もよいものでした。私達の多くがそのように感じました」。しかし、ホテルの支配人はまったく別の心理状態にあった。彼は夕方近くに飛び込んできて、この静かな客達に向かって要請した。他の客と一緒に荷物をまとめて移動する準備をするようにと。そして彼は叫んだ。

「このあたりはじきに完全に焼き払われてしまいます!」

ホテルの支配人のいうことは部分的に正しかった。その地域にある他の外国系ホテルは、すべてその日のうちに略奪されるか焼き払われてしまった。このホテル以外のすべてがである。

三カ月の間、少ないときで30人、多いときで200人の瞑想者がテヘランに滞在した。彼らはほとんどホテルから外出することもなく、イラン人と接触することもなかった。しかし、ホテルの近くで銃撃が始まると彼らは瞑想をした。すると銃撃は止んでしまった。別の小都市で暴力行為が突発すると、代表団を送り込んでそこで瞑想をした(ただ瞑想するだけであった)。すると暴力行為は即座におさまったのである。いつでも同じことが起こった。

ムハラムとよばれる何百万もの人々が祝う重要な休日に 「かなりの大量殺戮」が行なわれる、と報道機関は予測した。しかし、瞑想者のグループがそこにいて、その日は平穏に過ぎさった。このときも、瞑想者達にとってはどちらが勝つかは問題ではなかった。彼らは非常に特殊な理論に基づいて行動していた。その理論とは、十分な人数の瞑想者が心の奥深くにある、静けさ、穏やかさ、調和を体験していれば、その質が環境に広まり、正しい変化が生じる、というものであった。

イランの場合、プロジェクトのスポンサーである組織が、十分な人数を集めることができなかった。そのうえイラン滞在者のビザが切れてしまい、更新することもできなかった。そのため瞑想者のグループはイランを離れることになったが、その四日後に、国王は暴徒に追われてイランから逃げ出し、その混乱の中でホメイニ師が権力の座に就いたのである。

たぶんあなた自身にも内面の平安が暴力の高まりを抑えたという経験があるだろう。もちろんイランを訪れたこの30人はそうである。彼らは現在様々な仕事に戻っているが、今でもその話をすることがあるし、イランを平和にすることは可能であると感じている。自分たちがイランに戻ることができさえすれば…、あるいは十分な数のイラン人が瞑想を始めさえすれば…と。

E・アーロン/A・アーロン著「心の地球革命」より