人生が深い静寂に導かれる──とても優雅に、時には驚くような形で

私が超越瞑想の実践を始めたのは1971年です。その頃は、高校生活最後の年の最後の週だったのですが、私は米国史の授業を二学期続けて落第したため、その後もサマースクールに行くことになっていました。実を言うと、それは私が抱える問題の氷山の一角にすぎませんでした。両親との関係や、教師や同級生との関係は緊張しており、人生や将来について殺伐とした考えをもっていました。

人生がそんな危機的な状況にあった頃、私の前には二つの道しか見えませんでした。それは、実利を追求する道か、あるいは知的なものを追求する道でしたが、どちらの道にも興味がありませんでした。当時は「実存的」という言葉の意味はほとんど知りませんでしたが、弱冠17歳のとき、私は実存的な危機に陥っていたのです。人生には私が経験してきた以上のものがあるに違いないという確信はありましたが、それがどういうものなのか見当もつきませんでした。

とても幸運なことに、何人かの友人が、その年の初めに超越瞑想を学びました。その頃の私は懐疑心のきわめて強い人間でしたが、彼らは良い友人だったので、私が多くの面で苦しんでいることを理解していたのかもしれません。友人の一人は、「疑いたければ好きなだけ疑ってもいい」と私に言いました。ですが彼は「TMをすれば、私は今よりずっと幸せになれる」と固く信じていました。

いつもなら私は彼に反論していたかもしれませんが、惨めな苦境から抜け出せるかもしれないという可能性に引かれて、どうしても異を唱えることができませんでした。彼は私の最大の弱みを突いてきたのです。きっと私の方でも、新しい可能性があれば、それを受け入れようという準備ができていたのでしょう。

ほぼ40年が過ぎた今でも、初めて瞑想をしたときの体験を鮮明に憶えています。TMセンターに足を踏み入れた瞬間、そこに満ちている静寂を感じ、個人指導室に入ると、その静寂がさらに深くなっていきました。そのあとマントラが与えられ、それまで知ることのなかった深い静寂を体験しました。その静寂の中で、私の人生で間違った方向に行ってしまったすべてのことは、やがて、正されていくだろうという実感がありました。深い意識の中で、そして人生で初めて、私は、自分の将来に対してだけでなく、世界の将来に対しても、大きな希望があるのを感じたのです。

その後、何週間、何カ月間にもわたって、私の人生に静かな変革が起こりました。私は、それまで経験したこともなかった考えや感情を持つようになりました。家族や友人との交流を楽しむようになりました。音楽や芸術からまったく別次元の意味を受け取るようになりました。それは私の感情、理性、精神のすべてに影響を及ぼすほどでした。だんだんと私は、自分の存在さえわからなくなるほど、芸術の鑑賞に深く没頭する体験をするようになりました。その深さは、実際に自分でそれを体験するまでは想像することもできなかったほど深いものです。

40年間で3万回近くの瞑想を重ねてきた今日でも、それと同じ静寂が、優雅に、そして時には驚くような形で、広がり続けています。私は、自分の人生をこの瞬間まで導いてくださったことを、神に、そしてマハリシに、深く感謝しています。人間精神の無限の可能性に向かう旅の途上において、それと同じ導きが、私たちのすべてに、そして人類のすべてにもたらされますように……。

──ラビ・アラン・グリーン(ユダヤ教の聖職者)

 原文・Enlightenment


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