なぜ、私はこの瞑想を続けることに意欲的なのか?

何かを続けるのに苦労した経験は誰にでもあるだろう。スポーツジムに通うとか、身体によいものを食べる、早起きをする、新年の決意を持続するなど……。私も一つのことをやり続けるのは苦手な方だ。

10才のとき、私はADHDと診断された。とんでもないことに、担任の女性教師が、私には集中力がないと主張したからだ。では、私と一緒に、彼女が誤っていたことを実証してみよう。

今日は、私が超越瞑想を始めて260日目になる。これまで519回、瞑想してきた。1日につき2回ずつ、毎日行っている。私は、自分の人生全体で、これほど堅実に一つのことをやり続けてきたことは一度もなかった。私の人生の中で、超越瞑想を行うことと、他のすべての習慣とは、どこが違うのだろうか? なぜ、私はこの瞑想を続けることに、これほど意欲的なのか?

その理由は、TM(超越瞑想)の効果があまりにも大きいので、無視することができないからだ。この10カ月間で、私の人生は大きく改善された。毎日の瞑想の効果は、劇的に現れるときもあれば、そうでないときもあり、コントロールできないものだが、いま私は、これまで味わったことのない至福の状態を経験している。それを初めて体験したのは、1週間前のことだった。

先週の水曜と木曜に、私はくつろいだ気持ちで一日を過ごしていた。心は静かで、体中にエネルギーが流れていて、何の不安や心配もない。まるで雲の上にいるようだった。どんな外側の刺激も必要としない、純粋な幸福感、内面の満足感に浸っていた。

私のことをよく知っている人たちは、私がときどき憂鬱になったり、不安になったり、感情が不安定になることを知っているから、TMによって私がこうした静けさを体験しているとは、思いもよらないだろう。そうした静けさのなかで、私は感情のバランスを取り戻し、一つのことに集中したり、はっきりと考えることができるようになってきた。

瞑想することは、「川から抜け出す」ようなものだと聞いたことがある。私にとっては、まさにその通りだった。私は不安から抜け出して、感情に打ち勝ったようだ。自分の人生を客観的に見て、何を変えたらよいかわかるようになってきた。絶え間なく自分にプレッシャーを与えて変化を生み出す代わりに、自分に役立つと思える改善を静かに行っている。感情的な混乱から抜け出して、今では観客のように、その感情を見守っているのだ。それは、とても幸せな観客といえるだろう。

そのような状態がまだ十分に定着していないとしても、日々の生活を楽しむ能力は劇的に高まっている。これまでの生活を思い起こしてみると、信号待ちをしたり、料理をしたり、シャワーを浴びたり、歯を磨くといった日常の何気ない活動をしているとき、私はよく退屈したり、イライラしたり、じれったく感じていたものだ。それが今では、すべてのことに喜びを感じるようになってきた。意識が広がってきたようだ。無邪気な気持ちで何にでも興味をもち、平凡に思える事柄のなかに喜びや楽しみを見いだしている。私は、外側からではなく内側から、自分の生きる世界を生み出しているのだ。

人間関係に関わる不安も80%くらい減少したといえる。他の人と一緒に働いているときや、お酒を飲みにいくとき、週末に家族と夕食をとるときでさえ、私はいつも人間関係に不安を感じていた。どうやって人と関わったらよいかわからなかったからだ。人付き合いのルールを理解しようとして、私はいつも疲れ果てていた。それが瞑想して、心が静まってきたことで、そうした膨大な苦痛から解放されたのだ。以前は、親しい友人と話しているときでさえ、いつも心のなかには気も狂わんばかりの会話が続いていた。「私の表情は、おかしくないだろうか?」「ぎこちなく立っていないか?」「この人は、私の話を面白いと思っているだろうか?」「彼らは私を気に入っているだろうか?」「ウワー!」といった会話が大きく減ったのだ! 他の人とのやり取りや、そのとき浮かんでくるあらゆる考えを常に分析し続けることがなくなり、心は静かになって、自信が増し、落ち着いてきた。

また、私にとって人間関係で一番不安を感じていたのが、他人と目を合わせることだった。以前は意志の力で、きちんと相手の目を見るように努めていたので、端から見るとぎこちないものだったに違いない。人間関係の厄介な過去を克服したいという強迫観念的な願望と、何年間か営業の仕事をしていた必要性から、私は無理やり自分にそれを強いてきたが、それは楽しくもないし、簡単なことではない。それが今では、心の雑音が少なくなってきたことで、楽に他人と目を合わせることができるようになった。「私の視線は気味悪くないか?」「相手を不愉快にさせていないか?」などと考えることもない。ただ静かに目を合わせだけだ。

「否定的な」経験に対しても、より良い形で反応できるようになった。そのことに気づいたのは、TMを始めて1カ月もしない頃だったと思う。今でも、車の進行を邪魔されたり、警笛を鳴らされたりすると、以前と同じように感情的に反応している自分に気づく。しかし、そうした感情が収まるのが速くなったのだ。想像してほしい。これまでは5分間怒っていたのが、今では5秒間で、その怒りが静まっていく。それは、私たちが望む理想的なADD(注意欠陥障害:一つのことに注意を持続できない症状)だろう。TMはまた、身体の痛みにも効果がある。重量挙げで筋肉をつけるときに、身体の痛みを感じることが少なくなり、痛みが消えるのが速くなったようだ。

そうしたTMの効果は、いくらでも上げることができる。その他の効果としては、よく眠れるようになったり、記憶力や集中力が増したり、うまく問題を解決できるようになってきた。また、考えがはっきりしてきたので、活動を起こすことが楽になり、流れにうまくのれるようになってきたと思う。瞑想はこれまでの人生で、最も長く持続している習慣になっているが、その理由は、瞑想によって生活がどんどん良くなっているからだ。それに気づくことができるくらい、TMは私を目覚めさせてくれている。

Source:Why Am I So Motivated To Stick To This Meditation Practice? The Benefits Are Too Intense To Ignore (By Luke Sohl)