想念の源には、計り知れないエネルギーと知性が蓄えられている【インタビュー】

1975年の春に、超越瞑想の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、世界の五大陸を大急ぎで回る旅に出た。この一カ月の旅の目的は、人間の本質についての新しい理解を世界中にもたらすことだった。

超越瞑想は、深い安らぎを得るための方法として、すでに多くの人たちに受け入れられていたが、マハリシが新たな世界ツアーに出かけたのは、「啓発の時代の夜明け」を世界に告げるためであった。

以下のインタビューは、世界ツアーで行われた最初のもので、ここでは超越瞑想が、誰にでもできる自然で効果的な瞑想であることを紹介している。

◆ ◆ ◆

──超越瞑想テクニックとはどういうものか、話していただけますか?

マハリシ:超越瞑想テクニックは、シンプルで、自然な方法です。だれでも簡単に習うことができます。朝と夕方に、15分から20分ぐらいの時間をとって、心を最少励起状態(活動のない状態)にまで落ち着かせます。心と体は、このようにして深い休息を得ます。

──これは、まったく心の中だけで行うテクニックなのですか?

マハリシ:そうです。ただ、いすに座って目を閉じて始めます。

──心の中のテクニックだけで、どうして体の休息が得られるのですか?

マハリシ:簡単な理由からです。つまり、心は、体の活動を司っていますし、反対側から見ると、体や神経系の活動は、心の状態を司っています。心が走りたいと思えば、体が走ります。そして、体が少し疲れてくると、心は座って休もうと決めます。心と体は、一緒に働いています。

ですから、超越瞑想テクニックで、心が最少励起状態へと落ち着いていくと、つまり、安らぎに満ちた鋭敏な状態へと落ち着いていくと、その心の休息のために、体の方も深い休息を得るのです。この休息が、身体に蓄積しているストレスや緊張を解消します。

──夜の睡眠だけでは、ストレスや緊張を解消するのに十分ではないのでしょうか?

マハリシ:夜に自然にとる休息だけで十分だと考えられていましたが、しかし、それだけではうまくいきませんでした。どんな活動をしたとしても、何らかの根深いストレスが後に残り、それは夜の睡眠の間だけでは解消されません。

こうしたストレスは、太陽を隠してしまう雲のようです。私たちのすべての潜在力はそこにあるのですが、障害があるために、それを日々の生活の中で十分に活用することができません。

科学的な研究が示しているように、超越瞑想テクニックによって、基本的な、統合的なレベルの休息が得られます。この深いレベルの休息が、こうしたストレスや緊張を解消してくれます。私たちの創造性や知性の十分な活用を妨げていた雲が、消え始めるのです。

──この方法は自然な方法であるとおっしゃいましたが、本当に自然なものであるのなら、どうして、それをするのにテクニックが必要なのでしょうか?

マハリシ:だれでも自然に話せるようになる能力をもって生まれてきますが、話し方は学ばなくてはなりません。話し方を学ばなければ、子供が言葉を話したとしても、「あー、あー」としか言えないでしょう。

それと同じように、私たちがもっている全潜在力を表現するのは自然なことですが、その表現の仕方は学ばなければなりません。水が湖から流れ出すのは自発的です。しかし、その水を自分たちの畑へ引きたいときには、パイプラインを設けて水を導きます。

心の内側深くに、想念が始まるところがあります。そして、その領域は、計り知れないエネルギーと知性が蓄えられているところです。その純粋なレベルへと私たちが心を落ち着かせていくとき、私たちはエネルギーと知性の蓄積場への水路を開いているのです。

──その水路はどのようにして開かれるのでしょうか?

マハリシ:それは、心の自然な傾向です。心に正しい角度を与えてやれば、心は自動的に、より洗練されたレベルへと落ち着いていきます。心が思考の過程のより微細な面を経験するとき、心はより洗練されたレベルの意識を経験します。こうして、心は、ますます目覚めてきます。

そして、私たちの意識が最大の目覚めを得たとき、その次の洗練の一歩は、思考の領域を超越することです。私たちは純粋な意識の領域に達します。心は、その中で完全に目覚めているのですが、しかし、想念はありません。

──それは、何か矛盾しているように思えます。何も考えていないのに心が目覚めているということが、どうして可能なのでしょうか?

マハリシ:どんな活動でも、その始まりにおいては、そうした現象が見られます。いまにも走りだそうとしているランナーを考えてみてください。ランナーの内側は活気に満ちていますが、まだ動いてはいません。まだ、活動してはいません。

これは、心の最少励起状態に似ています。心は目覚めていますが、想念はありません。そのような心は、「純粋な目覚め」、「純粋な意識」、「純粋な知性」と呼ぶことができます。

──心を落ち着かせるのは難しいのではないでしょうか? 心を一つのことに集中するのは難しいと思います。

マハリシ:超越瞑想テクニックは、心を集中させようとする方法とはまったく異なっています。集中は静的ですが、心は変化を望みます。超越瞑想テクニックは、躍動的で、自発的な方法です。

──何を考えるのですか?

マハリシ:いろいろな事について考えるというのも、超越瞑想テクニックの方法ではありません。何かについて考えるのは黙想です。

黙想では、注意が意味から意味へと動いていきますが、それはすべて、心の意識的な思考のレベルで起こることです。それは、池の表面に浮かんでいるようなものです。

超越瞑想テクニックは、水平的な心の活動ではなく、垂直的です。それは、池の深いところへと飛び込んでいくのに似ています。

──しかし、心をそのように落ち着かせるためには、何かをしなければなりませんね。

マハリシ:何もする必要はありません。私たちは、ただ、より大きな幸福の場へと向かおうとする心の自然な傾向を利用するだけです。

経験から、純粋意識という基本的な状態にはもう一つの面があると分かります。それは、純粋な幸福の状態、凝縮した幸福の状態でもあるのです。それは、純粋な、至福意識の状態です。

ですから、超越瞑想テクニックは、心がより大きな魅力と満足の方向へと動いていくようにする躍動的な方法です。

こうした理由から、集中はまったく必要ありません。より多くを楽しむために、心を訓練する必要はありません。正しい角度を与えてやりさえすれば、心は自発的にその方向をとるのです。

──こうした説明を受け入れられない人はどうでしょうか? 超越瞑想テクニックは、そうした人の場合でも、効果が期待できるものでしょうか?

マハリシ:もちろんです。切符を買って飛行機に乗りさえすれば、飛行機は私たちを目的地にまで連れていってくれます。

──これは、何かを信じるとか信じないという問題ではないのですね?

マハリシ:信じるか信じないかは、問題ではありません。私たちが超越瞑想テクニックをテクニックと呼んでいるのは、そうした理由からです。

それは機械的なものです。信じていても信じていなくても、それには関係なく、求める効果が生み出されます。心は、たいへん自然に、あの純粋意識の状態へと落ち着いていきます。

ロバート・オーツ著「Celebrating the Dawn(マハリシが悟りの時代を告げる)」より

関連記事