画家・中川直人氏「ありふれたものから、並はずれたものを創造する」

米国の瞑想者向け刊行誌「Enlightenment」では、最近、画家の中川直人氏と、著名なアーティストを世に送り出しているハドソン氏のインタビューを掲載している。

中川直人氏は、詩人、芸術家、哲学者を出している日本の伝統ある家系に生まれた。彼は、宝塚で生まれ育った後、1962年、十代の頃にニューヨーク市に移り住み、たちまち画家として、さらにはパフォーマンス・アーティストとしての地歩を固めた。彼の作品は、ニューヨーク現代美術館、大阪の国立国際美術館、京都の国立近代美術館など、アメリカ、ヨーロッパ、日本の数多くの美術館に所蔵されている。

最新作「Earth Wave(大地の波)」は、ギャラリー「Feature Inc.」のオーナーであるハドソン氏のギャラリーで開催された。ハドソン氏は、ジェフ・クーンズ、リチャード・プリンス、レイモンド・ペティボン、トム・フリードマン、村上隆といった多くのポップ・アーティストを世に送り出したことで知られるディーラーであり、アメリカの現代アートにおける大物の一人だ。


二人とも超越瞑想を実践し、このインタビューの中で、瞑想によって得られる自身の内側の体験が作品に深く影響を与えている、ということを話している。

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──あなたのアートにおいて自然はどのような役割を果たしていますか?

直人:私が育った神戸近郊の地域には、武庫川という美しい川があり、その向こうには雄大な六甲山があります。私はほとんど毎日、夕方になると庭の中にあった岩の上に座って、あの山を眺めたり、日没のときに空の色が赤、橙色、黄色に変わっていく、あの自然の魅力的な瞬間を見つめていたものです。何百ものコウモリ、トンボ、蚊が群がるように飛んで、それぞれが他のものを捕食しようとする光景も見ていました。残念なことに、このような自然の豊かさはなくなってしまい、今ではたくさんの住宅が建っています。私が経験した自然の美しさと魅力はもうそこにはありませんが、その記憶は私の内深くに残っています。

私はアーシル・ゴーキーの伝記を読んだのを憶えています。アルメニアからアメリカに渡った著名な画家で、ヨーロッパの芸術運動とアメリカの芸術運動とを結びつけた人物として知られています。ピカソからマチス、そして抽象的表現主義への橋渡しをした人です。彼は、自然な形態、抽象的なもの、そして生死観のようなものが含まれた、象徴的な自然を描きました。

かつて彼にインタビューした人が「あなたが描くイメージはどこから来ているのですか?」と尋ねたとき、彼は、自然から来ていると答えました。彼は13歳くらいまでアルメニアで育ち、その地の自然と深いつながりがあると語っているのを知ったとき、「ああ! これは私自身の経験とすごく似ている」と思いました。彼の創造のプロセスは記憶のようなものです。ですから私も、それと同じようなことをしているはずです。

ハドソン:自然はおそらく、あなたが制作するすべてのアートにおいて統一的な働きをする要素なのでしょう。それぞれの作品はその中心的なテーマをさまざまな形で表現しているのです。

──瞑想の実践はあなたの絵画がこの方向に発展するのを助けたのですか?

直人:そうです。1972年までの私の絵を見ると、人工的な物を対象とする傾向がとても強かったのです。たとえば「バターとセックスする櫛」のようなものです。私の考えていたのは、マーシャル・マクルーハンが定義した、第二の自然、都会の自然、すなわち人間が創造した人工的な世界でした。その頃の絵の中には、自然なもの、オーガニックなものはなく、木や葉や花は描かれていませんでした。

その後、1973年に私の絵にそれとわかるほどの変化が起こりました。わずか一年後にです。私はしばしば、「72年から73年の間にあなたのアートに何が起こったのか」と尋ねられます。1972年に私は初めて瞑想を学んだのです。超越瞑想を始める前、私は自分のことをいわば「怒れるアーティスト」だと考えていました。私がこの大都市にたどり着いたとき、自分はよそ者だと感じていました。疎外感を持っていました。と同時に、私は受け入れられたい、仲間に入りたいと思っていました。それから、私の作品を展示してくれるとても素晴らしいディーラーたちとの出会いがありました。

しかし、瞑想を始めたとき、私は初めて自分自身の内側深くに入る体験をしました。それは私が長い間探し求めていたけれど、見つけられなかったものです。TMを実践することの素晴らしさの一つは、内側深くに入る体験が得られるだけでなく、私の創造性の源に触れさせてくれることだと思います。その体験は、意識の最も深い層に私の創造性の源泉があることを教えてくれました。私たちの意識はいつもは物質的で有形なものを対象にしていますが、TM(超越瞑想)は私に想念の源に至るための手段を与えてくれました。ですからそれは私にとって非常に大きな発見でした。

私の仕事に劇的な変化が生じました。私の初期の絵画は、物と物との間のほとんど暴力的な出会いを表現したものでしたが、「存在」そして私を取り巻く事物との新たな、より深いつながりが生まれ、それらを受け入れるようになったのです。私の新しい静物画には物と物との間の神秘的なつながりが表現されるようになり、そして数年後、ヴァーモントに移住してからは、私の作品には自然が表現されるようになりました。それはまるで、私が青春時代を過ごした日本の豊かな自然との類似を見いだしたかのようでした。歳月を経るにつれて、自然は私の作品の中でより一層、中心的な役割を果たすようになってきました。

私たちはこの広大な宇宙の中に生きる、とてもちっぽけな、ちっぽけな存在なのですが、私たちは自らの内側に、途方もなく大きな宇宙のあらゆる属性を有しているのです。ということは、私が自分自身の内側のより深くへ入り、新しい知覚の層を見いだすことができれば、その新しい知覚を他の人々のところに運んでくることができるはずです。瞑想を始めたとき、私は宇宙とつながりました。まるで電気の配線のように宇宙が私とつながったのです。

──先ほどあなたが「バターとセックスする櫛」と表現したイメージについて説明していただけますか?

直人:バターは軟らかくてオーガニックなものであり、櫛や鋏は男根の象徴のようなものです。このような男女の組み合わせ、人工的なものとオーガニックなものは、現在でも、私の作品を貫くテーマであり続けていると思います。

ハドソン:あなたのいちばん最近の作品では、中心を共有して重なるいくつもの矩形がより男性的な形態を象徴し、木の葉や花のイメージが女性を象徴していると言えるかもしれません。その相互関係はあなたの初期の多くの作品の中にも見られます。現れ方に違いはありますが、本質的には同じものですね。

直人:そうですね。私は、創造のプロセスの根本的な性質は男性性と女性性の並立であると理解しています。この二つの力は互いに対立していますが、同時に一体になっています。ですから私は、この二つのものを一緒に置くのが好きなのです。

一年ほど前、私は妻と一緒にカーネギー・ホールで、約200人のコーラスシンガーによるベートーベンの第九交響曲を聴いたのですが、コーラスの半分は女性、半分は男性でした。そのとき、男らしさと女らしさの完璧なコントラストを感じるという、この上なく素晴らしい経験をしました。宇宙の真理はこの組み合わせと大いに関係があるのだと私は考えています。

──そのお話を聞いて思い出したのですが、美術評論家のエリック・シャイナーが、「直人は鑑賞者に新たな連想を起こさせ、もう一つの宇宙を考えさせる」と書いていました。また別のライターは、あなたのことを神秘的な画家と呼ぶことができる、と考えていました。これらの批評についてどう思いますか?

直人:それは、私の日本での育ち方と関係があると思います。私の中には、日本から受けた多くの影響があります。それに、私の祖父である村上華岳とも深い関係があると思います。祖父自身も一種の神秘的な画家でした。彼は密教系の瞑想を実践していて、いつも絵を描く前に瞑想をしていました。華岳は最後の文人画の大家として知られています。文人画とは学識者の描く絵画という意味です。文人画は中国と日本で700年前に遡る伝統があります。祖父は1939年に亡くなったので、実は私は祖父に会ったことがないのですが、母から祖父についてたくさんの話を聞いています。

祖父は山に登って、スケッチすることも絵を描くこともせず、一日中ずっと自然を眺めていました。彼が何を求めていたのか、私にははっきりと分かります。彼は瞑想を通して、自然の根源、創造の力に触れていたのです。

祖父が亡くなったとき、ある出版社が彼の書いた文章をまとめて、一冊の芸術観に関する本にしました。その本には多くの叡智がちりばめられていたので、私は何度もそれを読み返しました。「絵を描くという行為は秘密の部屋の中で行う祈りである」と彼は書いています。とても私的で、とても精神的な表現なので、私はこの言葉が大好きなのです。祖父から受け継いだものは、私と自然とのつながり方と何か関係しているかもしれません。

──以前あなたにインタビューした人が、あなたの仕事への取り組み方について似たようなことを言っていました。彼はそれを、献身的であり、まるで修道僧のようだと表現しました。

直人:絵を描くときにステージに上がったりはしません。私は俳優ではないので、人を楽しませるために何かをしているのではありません。絵を描くことはとても私的な行為であり、画家が――少なくとも私が――ありふれたものから並はずれたものを創造するためには、自分自身をこの世界から切り離し、自分の意識のなかのできるだけ奥深くまで入って、並はずれた何かを鑑賞者のところまで運べるようにしなければなりません。私が自ら気づいたことですが、芸術において何か並はずれたものを見るとき、新たな価値に対して自分の目が開かされ、自分の意識が高められ、人間をそして生命を深く理解する感性が生まれてくるのです。

それは一編の詩を作るようなものです。詩人はありふれた言葉を使いますが、それはパズルを組み合わせながら、ありふれたものを並はずれたものにする作業なのです。絵画の場合もそれと同じです。私が描くものは、花であれ、バターであれ、鋏であれ、すべてがありふれたものです。しかし、絵を描くというのはそれらの物を、そして色や形を組み合わせる作業であり、それらから魅力を引き出すことができれば、素晴らしい絵を描くことができるのです。そして瞑想とは、私の意識の最も深い層まで到達して、そのような美しい形を外側に運び出すための乗り物のようなものだと思っています。

──ハドソンさんはどのようにして直人さんの創造のプロセスが発展するのを助けているのでしょうか?  また、お二人はこの展覧会を実現するためにどんなふうに協力し合っているのですか?

直人:ハドソンさんは、一緒に仕事をするアーティストたちを励まし、彼らの一人一人から何かを引き出す能力を持っています。彼のお陰で、私の絵は発展し、よりラジカルなもの、より冒険的なものになりました。その結果、私が絵を描くごとに、まったく新しい領域に飛び込むということが何度も起こりました。

ハドソン:私がやっているのは、基本的には、よく見て、意見やアイデアを指摘し、関連づけたり批評したりすることです。それは基本的な理解、支援、評価なのですが、それがたぶん私の存在に意義を与えているのでしょう。私は最終的な決定をするつもりはありません。最後に決めなければならないのはアーティストだからです。

直人との仕事のように、私自身が彼のアートを十分に楽しんでいるときには、私は大体、少し触れる程度の、あるいは緩やかにつながった輪のようなコミュニケーションの方を好みます。このような繊細で複雑な仕事に対して直接口出しはしません。私はその仕事をオープンなものにしておきます。そうすればアーティストがそれを仕上げてくれます。

直人:それは私たちが二人とも瞑想していることに関係があるかもしれません。私は彼が瞑想をしていることを知りませんでしたし、私が瞑想しているのを彼が知っているとは思いもしませんでした。

私たちがどうやって互いを理解しているのかはわかりませんが、何か底流のようなもの、たぶん、私たちの意識の深いところで私たちが共有する何かがあるからだと思います。

──お二人は超越瞑想を40年以上実践しています。それにハドソンさんは上級のプログラムであるTMシディプログラムも学んでいます。ハドソンさん、あなたも、一人一人のアーティストを見抜くこの能力はあなたの瞑想の実践と関係があると感じていますか?

ハドソン:ええ、もちろんです。私は自分の意識が発達し、拡大するのを感じていますし、それは瞑想を実践した結果であると思っています。本当にそうです。目を閉じて瞑想している状態から、目を開けた状態へと移り、この世界に再び関与するとき、意識が拡大しているのを感じます。そういうことを長年続けていると、拡大した意識が長い時間続くようになり、やがては一日中そのような意識状態になります。

直人:人々から、私は自分自身の中心をもっていると言われることが時々あります。それは、自分自身の内側にまったく揺るがない錨を下ろすようなものだと考えています。長年瞑想していることは、それと関係があると思います。

──今後についてお聞かせください。

直人:私の前には山があります。登り続ければ、うまくいけば、頂上に到達できます。おそらく今は途中まで登ったところでしょう。私は夢を見ているのかもしれませんが、私が常に考えているのは、この上なく素晴らしい芸術作品となる絵画を創造することです。

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最後に芸術家について話したマハリシの言葉を紹介しましょう。

「芸術家は皆、彼自身と彼の作品とを一体化させます。彼が彫刻家であれ、画家であれ、声楽家であれ、彼がどのような作品を創造するとしても、彼はその作品に完全に没入します。このように芸術家の内なる存在が、彼の創造物の外側の表面の価値に没入することは、彼にとって喜びであり、とても大きな満足をもたらします。すべての作品はその芸術家の生命の現れであり、したがって、すべての芸術作品はその芸術家の喜びなのです。創造は大きな喜び、とても大きな喜びです。それは生命の現れだからです。」──マハリシ(1970年)

原文・LINDA EGENES